なれそめのはなし

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どうも、くろしおりです。

特に意味はありませんが、添付してある動画は私の投稿した下車で、現状残ってる動画のなかでは最も古いものになります。事実上の処女作。

 

なぜ昔の動画を今更...というのも、今途中下車を投稿してる方々にも必ず初めて作ったMADというのが存在するはず。大変そうに列車を途中下車してそうなこの界隈もかれこれ10年目に突入し、色んな作者が現れては去っていく中で、なぜ途中下車の作者になることになったのか。そもそも何がきっかけで途中下車に触れ合うことになったのか、について気になったものでありまして。

 

要は、色んな途中下車作者の下車との馴れ初めにまつわる話を聞きたい!!

 

・・・ということで、一時期のブーム(?)ではてなブログをやってる下車作者も増えたことですし、この記事を見た作者の皆さんはぜひ下車とのなれそめの話を各々語ってもらえればなぁ、といった具合に意思表明をした次第であります。それだけ。

 

 

というのもアレなので、実は途中下車が10周年を迎える当日頃に投稿しようと思っていた"自分と下車のなれそめの話"にまつわる記事の「下書き」をそのままコピペしておきたいと思います。

文字通り「下書き」ですので、記事として完結してません。

その点だけご了承いただいた上でご覧いただければ。

 

 

・・・

どうも、くろしおりです。

突然ですが、「音MAD」というのはご存知でしょうか。

 雑に説明すると、「MAD」と呼ばれる、既存の素材を切り貼りすることで再構成し新しい動画として生み出された動画作品をつくっている界隈があるのですが、その中でもとりわけ音声素材に着目点を置いて作られた動画が、いわゆる音MADと呼ばれるものになります。Youtubeニコニコ動画など、ネットにある程度浸っている人なら多少目にしたことがあるのではないでしょうか。動画は様々なジャンルに分かれており、例えば有名どころではドナルドや松岡修造など、今でも合作等で高度な映像技術が用いられた作品が投稿され、視る側としては非常に驚かされるばかりです。ただ特定物を素材とみなして面白おかしく加工することに賛否両論はありますが。

 

 それはさておき、そんな「音MAD」の中に、鉄道という側面からアプローチをかけている界隈があります。「大変な途中下車シリーズ」と呼ばれるものです。このブログを読むくらいの方々なら上記の話も含めてご存知の事かとは思いますが、この界隈では、放送や走行音など、鉄道にまつわるあらゆる音を音MADとして加工し、動画が生み出されていきます。これはあくまで私見ですが、この界隈は動画を作る人見る人がほぼ鉄道オタクに限定されるところから、他の一般的(?)な音MAD界隈とは一線を画すような文化が醸成されているような気がします。

 「下車」とも称されることも多いこの界隈、鉄道の音MADとして初めての作品が投稿されてから、今年でなんと10周年を迎えるそうです。仮に10歳で初投稿の瞬間に立ち合っていたとすれば、その人も今は20歳、結構な年月が経つことになります。途中で廃れきることもなく(多少のすったもんだはあったけど)こうして続いてきたのですから、今年は大きな節目の年であると言っても過言ではないでしょう。きっと時期が近くなれば、有名でつよい下車作者の方々が最高にシコなつよ~~~い作品を投稿してくれるに違いありません。私は首を長くしてそれを待っておくことにします。ドピュ。

 

 さて、かくいう私もそんな途中下車シリーズを作る人の1人だったりします。現存する最古の動画が2010年投稿なので、今年でおよそ7年目。途中下車を始めてからというものの、鉄道趣味としての旅行スタイルやお金の使いどころ等々、色々なことが変化していきました。途中下車を通じて様々な方とお会いすることが出来ましたし、今では途中下車という界隈を超えたような関係の方もいらっしゃるくらいで、この趣味は自分の人生に大きく影響してきたことは確かです。

 というわけで今回は、完全な私事ですが、どうして途中下車を始めるに至ったのか。作っていく過程でどんな動画に影響されたか等、色褪せつつある過去の記憶を必死に呼び起こしつつ、ねっとりと振り返ってみたいと思います。・・・というより、個人的には他の作者の方々のエピソードの方がよっぽど気になっているので、この記事を見た方はぜひ便乗してください。しろ。

 

途中下車を知る

 過去の振り返り、ということでまずはその「原点」について、大げさな表現ではありますが、自分と下車との出会いにまつわる話を最初にしたいと思います。具体的な日時までは覚えていませんが、いわゆる鉄道の音MADに分類される動画を見るようになったのは、小6か中1の頃だったかなぁと思います。当時はパソコンに不慣れでしたので、居間にあったWiiのインターネットブラウザなる機能を用いてYoutubeを開き閲覧していました。その頃に同じ要領で見ていた動画として、駅名記憶シリーズやドナルド等の音MADなどがあります。恐らくそれらの動画を見つつ、関連動画を漁っていく過程で下車に触れあっていくことになったのだろうと推測。

 ではあの頃、下車では何を見てたかと言いますと、「京阪電車は大変な放送を流していきました」「阪急電鉄は大変な放送を流していきました」など、主に関西地域の作品を多く見ていた気がします。曲に合わせてリズミカルに流れていく放送や、途中で挟まれる小ネタなどが妙にツボだったのか、WiiYoutubeを開くたびに閲覧していたことを思い出します。しかしながら、当時はネット歴も浅かったこともあり、「大変な途中下車シリーズ」としてシリーズ化された界隈があるという認識は持ち合わせていませんでした。ニコニコのアカウントなんてのも持ってませんでしたしね。

 そうこうして時期が経つにつれ、じわじわとネットにも入り浸りはじめ、パソコンでYoutubeを閲覧するように。およそその辺りに見かけたのが「途中下車・出来・ナイツ」「京阪電車駅構内音頭」「ハマセン」、そして「東方乗車録メドレー」など。上記に挙げた以外にも見かけた作品は多々ありますが、数を挙げればキリがないのでこの辺で。いわゆるROM専みたく、つよい動画群を眺めるだけであった私でしたが、そうやって年を重ねていたある時、とうとう自分が「見る側」から「作る側」へと転化する機会がやってきます。

 

途中下車を作る

 途中下車に出合ってからおよそ4年後、中学2年の頃ですかね。当時から下車作者の瀬戸内さんとは繋がりがあり、ちょうど彼がその頃に下車を作り始めていましたので、身近な人にそういう人が出来ると「自分もやってみたい!」という風になったので、彼からソフトや作り方について色々と教えてもらって、作ることになりました。

 元々「つくる」という行為が好きだったので、それを実現する格好の的であったのかもしれません。当時は他にも下手ながらRailSimのPIなどを作ったりしてました。一時期はBVEに関するコンテンツも作りたいなぁとも思っていたのですが、技術不足・勉強不足で頓挫中。インターネットの鉄道界隈でつくれる色々なものの中で、音声加工・動画制作が自分の中で一番似合っていたという事でしょうか。何はともあれ、こうして下車制作に入り浸っていきます。

 当時の曖昧な記憶なので間違ってたら恐縮ですが、あの頃の瀬戸内さんはWMMとAudacityで下車を作っており、自分もそれに倣って作っていました。確かアクアライナーさん(当時)が同じソフトを使用していて、その影響を受けていたとか何とかだったかと思います。

 

今に至る

 今に至る